企業城下町に生きる、技術系人材派遣業のパイオニア

〝派遣〟という言葉を聞いて、皆さんはどのようなイメージを描くであろうか。もしマイナスな考えをもつ方がいれば、ぜひ、知ってほしい……。今回は企業城下町、茨城・日立市でそう思えるような企業に出会った。

 

アイ・イー・シー株式会社 代表取締役社長 塙 宏之氏

「派遣」という言葉が存在しない時代から

かつてこの国、日本には「派遣業バブル」があった。正確には「バブル状態」の時期があったと言うべきだが。

 

人材派遣業はいまから約4年前をピークに乱立し、約2年後の2009年には弾けた。突然増加した理由はいくつかあるが、大きな事柄は二つ。おそらく「許可が取りやすくなったため」と、「会社そのものの設立が以前より容易になったため」という単純な理由であろう、と筆者は考える。

 

そもそも、同業は儲かる部類の業種ではない。雑な言い方をすれば、「人」と「技術」と「それに付随するコミュニケーション」を提供する究極のサービス業である。軽い気持ちで起業してもうまくいかないのは当然なのだ。

 

事実、人材派遣で成功している企業はその規模を見れば一目瞭然だろう。現在も収益を上げているのは大手が大多数。しかも、「もともと資本がある企業」が目立つ。要するに、資金に余裕があって人を大勢抱えることができるため、「層の厚み」をウリにしている場合が多いのだ。

 

そのような理由から「中小規模で勝負をするには、分が悪い業種である。故に規模が小さい企業は長くは続かない」――それが、これまでの筆者の人材派遣業に対する印象であった。

だが今回、そんな自らの考えがすっかり覆されてしまった。最初は、訪問した先である経営者が開口一番に切り出した、次の言葉を聞いた瞬間である。

 

「私たちは『派遣業』との言葉が生まれる前、いまから約35年前に誕生し、当初から人材派遣業を主力としてきた企業です。いまだ大手企業にはほど遠い状態ですが、少しずつでありながら抱える『人手』と業務の分野は拡大しています。『中小企業に派遣業は難しい、できない』、なんていうことは決してありませんよ」

 

にこやかに答えるその様子に、筆者は驚いたのではなく拍子抜けしてしまった。そんなはずはない。実際に、「派遣バブル崩壊」後は多くの「派遣業者」が姿を消したのだ。

 

だが、経営者から告げられた主要取引先を聞き、一旦はすぐさま納得した。「大手の関連会社なのだろう」。そう思わせるような企業名がずらりと並ぶ。

 

ところが、そう問うと経営者は再び笑顔で一蹴した。

 

「確かに取引先の大多数を特定の大手とその関連子会社が占めていますが、当社は創業当時からどことも資本提携などはしていません。独立した一企業です」

 

その経営者の名は、塙宏之氏。今年7月に就任した、アイ・イー・シー株式会社4代目の代表取締役社長である。

 

 

多岐にわたる事業展開。すべては「顧客」のために

同社の主力事業は、塙氏も簡単に触れたように人材派遣業である。だが、現在の事業内容はその一言では収まらない。

 

「開発設計とエンジニアリング、そして技術サービスの派遣。人を派遣するというよりも、その一人ひとりが持っている能力そのものを派遣するといった意味合いのほうが強いかもしれません。いまでは、個別でもソフト受託開発やハードシステムの設計、製品開発等も請け負っています」

 

事業の領域は誕生から35年で徐々に広がってきた。取引先の企業の要求に応えるために新設した分野や、それに応じて増設した分野もある。それを「成長」と呼んでも過言ではないだろう。同社のように人材派遣業でありながら「工場」を構えている企業はめずらしいが、その経緯や理念を知れば納得いただけるのではないか。

 

「誕生した1975年ごろは末期とはいえ高度経済成長の勢いがありましたから、製造業はいくらでも人が必要だったのですよね。また、企業にも余裕があったので、もともと技術を備えていなくても派遣された先で他の社員と同じように教育してもらえるような時代でした」

 

創業当時の社名は茨城エンジニアリング。その名に偽りなく、「エンジニアを企業に出向させ、ハードウェアの設計などを担う」ことを目的とした企業であった。

 

「起業時は私もまだ当社におりませんでしたが、当然ながら企業に派遣する技術者は皆、当社の正社員。現在は私自身も学校を卒業してすぐに入社し、長年、保守点検業務に従事してきました。派遣とはいえ、大手企業のなかで働くことは勉強になることも多く、逆にそこで力をつけてきたといってもよいでしょう。それが結果として社員一人ひとりのスキルを上げることになっていったのです」

 

さらに、同社が本社工場を構え拠点としているのは茨城・日立市。いわずと知れた、全国的にも名高い企業城下町だ。そこまで言ってしまえばもうお気付きかと思うが、アイ・イー・シーの取引先の大部分を占めるのが日本を代表する大手メーカー、日立製作所とその関連企業である。

 

一般派遣の社員にも希望を

「確かに、日立製作所とその関連企業とはスタート時から取り引きがあり、強いパイプがあるともいえます。しかし、だからといって『将来安泰』とは言い切れません。逆をいえば、『アイ・イー・シーは楽に仕事を請け負っている』なんて思われたくありませんよ」

 

塙氏は、そう力強く話す。まったくもってその通りだ。モノづくりであれサービス業であれ、長く選ばれる企業には理由がある。

 

「求められる内容に対しては、迅速に応じてきました。ソフト開発、ハードシステム設計、保守点検サービス。創業35年でそれぞれの分野にエキスパートがいますから、どのような要望にもオールマイティに応えられる自信がある」

 

同氏は胸を張って説明するが、続けて「その分、全体業務の15%程度を占める『技術職以外の派遣』、いわゆる一般事務や営業事務など事務系の仕事を中心とする一般派遣の需要は減っていますね。これは、日立製作所に限ったことではありませんが、『一般派遣は大手企業で』という傾向が強くなりつつあるように思います」と話し、眉間にしわを寄せた。決して順風満帆ではない。それをはっきりと宣言する。その虚勢を張らない堂々とした態度に、筆者は潔さを感じた。

 

とはいえ、その状況に甘んじているわけではない。

 

「まず、一般派遣の社員にも自社内で教育を行い、ある程度のスキルを習得できるようなカリキュラムを組んでいます。もちろん雇用期間中の社会保険加入等はきちんと整え、正社員雇用制度なども設けてよりモチベーションが上がるような環境づくりを目指しています。『派遣だから将来がない』。そんな考え方はあまりに寂しすぎますからね」

 

社内教育は当然、技術職として常用雇用されている特定派遣にも行われている。

 

「資格を取ったら、自社で資格手当を支給することにしました。それから、エキスパート級の社員による定期的な研修会の実施。私が現場で働いていたころは、国全体に勢いがありましたからモチベーションを上げる必要などなかったけれど、いまは違いますからね。こちらもその思いをくみ取ってサポートしないと」

 

塙氏は苦笑する。

 

「価値を進化し続ける企業」となれ

「悩みがあるとすれば、オールマイティでありすぎたことでしょうか。求められるがままに何でも柔軟に対応してきたことで、特化した部分、強みといえるものがぼやけていたのです。今後は、それが課題ですね」

 

「強み」とする部分はすでに確立し、現在は実現に向けて進行中であるという。それが「制御技術関連」だ。

 

「制御分野に関しては、創業時から蓄積された技術とノウハウがあるのです。私たちはモノづくりではないけれど、それを支えてきたという自負がある。特にもっとも発揮できるのが、この制御技術関連であると思っています」

 

そして、もう一つ進めているのが「設計から製造まで、トータルで業務を請け負うこと」である。

 

現在の業務の割合はソフトの開発が3割、ハードシステムの設計が3割、保守サービスが3割、そして残りが一般派遣であるというが、「ソフト、ハード、保守サービスと、バラバラで仕事の発注があるのです。それを一括で全体を任せていただけるようになりたいと思っています」と塙氏。

 

「また、それに関してはもちろん日立製作所さんが主力ですが、当社の技術を評価してくださっている企業さんとも取引を進めていきたいと思っています。正直にいうと、いまも数社の大手さんとやりとりが進行しています。当社の社員も長年携わってきたわけですから、その業務に力を入れている企業がほかにあれば、そこでこれまで培ってきたノウハウと技術を発揮したい。そう思うのは当然です」

 

企業名を聞けば、日立製作所に引けを取らない名だたる大手ばかり。「強みがない」と言いながらも、アイ・イー・シーにはそれほどの技術と実績があることを物語っている。

 

最後に今後の抱負を尋ねると、同氏は「重複しますが、私たちが35年間で蓄積してきた最も大きなものは制御技術と情報技術。すなわち社会インフラシステムにかかわる技術とノウハウです。社員をけん引する立場になり、それを明確にすることができました。まずはそこをもっと特化させること。それをクリアすれば、また次に越えるべき山も見えてくるはず。伸びしろはまだまだあるのですよ」と言って、にこやかにほほ笑んだ。

 

基本は「お客さま一社一社にいかに高品質なサービスを提供できるかを考え、満足していただける企業となるか。どの業種にも共通したシンプルな思いですが」とのこと。

 

そのために「先々のことに悩んで振り回されるよりも、届きそうな目標を立てて一つずつクリアしていくことが大切。規模は大きくならずとも、『価値を進化し続ける企業』でありたい」と塙氏は目を細めた。

 

その様子からは、穏やかながらも芯の強さが伝わってくるようだ。

 

同氏がそこにいる限り、アイ・イー・シーは夢に向かい、着実に一歩ずつ進める企業であり続けるだろう。■

 

 

塙 宏之(はなわ ひろゆき)

1957年、茨城県生まれ。1980年に日本電子工学専門学校(現、日本工学院専門学校)を卒業後、茨城エンジニアリング(現、アイ・イー・シー)に入社。保守点検業務、情報サービス事業部、執行役員、取締役、専務取締役を経て、2011年7月に代表取締役社長に就任し、現在に至る。

 

アイ・イー・シー株式会社

〒319-1221 茨城県日立市大みか町1-11-10

TEL 0294-53-4611