株式会社三企 代表取締役 丸山和博

「職人」と言えば、腕は確かだが無口で無愛想、黙々と仕事をこなす少し近づき難い人たちというイメージが定番。「株式会社三企」は、そんな職人が主役の設備業・工事業業界の中で、現場の目線から顧客に提案でき、値決め交渉までこなす「提案力のある職人」を育てることで、同業他社と一線を画す仕事を続けている企業だ。現在は、社員8名という少数精鋭で年商約6億円を突破。

事業の幅も、設立初期から手がける空調工事に留まらず、周辺の電気や水道、内装工事へと拡大している。2代目社長・丸山和博氏に「提案力のある職人」養成へのこだわりや同社の歩みについて伺った。

■50年以上の歴史を持つ 設備工事の職人集団

「株式会社三企」は、大手電気メーカーのカタログなどの作成を手がける企業として1962年に創業。ほどなく、空調機(エアコン)の設置工事をメイン業務とするようになり、一般家庭や企業へのエアコン普及歴史と共に歩んできた会社だ。現在経営を担うのは、創業者・丸山達雄氏の長男である丸山和博氏。近年では、空調工事に付随する電気・水道・内装などの工事を幅広く手がけ、自社用の贈答品開発から生まれたノベルティ事業「musubi」など、新しい事業にも挑戦している。

 

「自分で選んだ道」との自覚を得て 経営者として立つ

社長の丸山氏は同社がある荒川区生まれの荒川区育ち。元々は経営者になるつもりもなく、学校卒業後は大手サブコントラクターで現場監督として働いていた。しかし、父・丸山達雄氏が病を患ったことで「戻ってほしい」と声がかかり、2000年、28歳で弟と共に同社に入社。主に現場管理を担当するようになったが、最初は仕事が楽しいとは思えなかったという。

「当時の当社は、全員が“職人”の完全なエンジニア会社。そこに職人でもなく、現場監督と言っても3~4年かじっただけと1人前にはほど遠い状態で入ったわけで、一通り“2代目の洗礼”を受けました。僕の方もこの時点ではこれといった志もなく、事業を継ぐ覚悟も決まっていない状態で、本当に“前職を辞めて入っただけ”からのスタートでしたね」

転機になったのは32、33歳の頃。営業先の紹介で加入した青年会議所新宿支部での学びだ。「それまでは、この会社で働くこと、会社を引き継ぐことが自分で選んだ道だと思えなかったんです。けれど青年会議所での学びを通して、声がかかった時に断らなかったのは、覚悟も自信もなく嫌だといい続けながらも働くことを決めたのは、他でもない自分なのだと考えるようになりました。それは自分の中で革命が起きたとか、眠っていたものが呼び覚まされた感覚でした」

自覚と自信を得たことで気づいたのは、自身は一つの事に打ち込む職人気質というより、マルチな人間であり、仕事の楽しさはマネジメントにあることだという。「両親が経営者だったためか、思えば小さい頃からマネジメントの視点は持っていて。なぜこの場は楽しいのか、なぜ退屈なのか、なぜそんな状態が継続しているのかと、自然に全体を見ていた」という丸山氏。その目線で会社を眺めた時、入社当時から感じていた「現場で作業をするだけでは何も変わらない、職人も自分の机とパソコンを持たないといけない時代になる」と確信する。

2004年には「提案ができる職人集団」というコンセプトを打ち出して社内の意識改革に着手。少しずつ社員の世代交代を進めると共に、職人の提案力強化、問題解決力強化に取り組んでいった。

本社社屋の写真です。地域を盛り上げようと、毎年クリスマスシーズンは自社でイルミネーションを行っています。ちょっとした名所となっており、たくさんの方々が見に来てくださいます。

技術の蓄積が支えた 職人提案力強化の新方針

旧習を壊す新しい取組みは、たとえそれが良いものでもなかなか受け入れられないものだ。しかし、寡黙に工事のみを行うという従来の「職人」の姿にこだわらず、ITスキルを備え、サービス業の視点から自ら顧客に提案するという新しい形は、徐々にではあるが確実に同社に浸透していった。その理由を丸山氏は、領分に固執せずに柔軟な対応で顧客ニーズに応える姿勢は同社にとって新しいものではなく、顧客にさまざまな提案を行うために必要な技術の根が既にあったからだ、と言う。

 

「工事会社は、空調工事なら空調工事だけを行って、付随する他の工事は外注するのが一般的です。しかし父はもともと外注に出したり、元請けさんとやり取りするのが得意ではなく、自分たちですべてをやるという職人でした。空調の配管工事だけでなく、基礎となるコンクリート作りから自分たちで設計・施行施工していたんです。エアコンの設置工事は今でこそ交換が主流ですが、エアコンが普及途上だった時代は、電気工事や室外機の置き場の確保と付帯する工事が主流。それらをすべて自分たちでこなすことで腕を磨き続けたことが、当社の独立独歩の社風につながり、職人の提案力強化を進める力にもなったのだと思います」

現在同社の職人は、本来の職能である寡黙に仕事をするのはもちろん、現場ならではの目線で顧客に提案し、自身で現場調査をして図面を描き、業者や顧客との値段交渉を行い、報告書作成して一貫して行える人材ばかり。そのマルチな活躍が顧客からの相談件数増加、受注件数増加につながっている。

長年SANKIのシンボルとなっているトラックです。2018年に新しいトラックに買い替えました。冷房と暖房からイメージした三色のカラーをほどこしたデザインポイントです。

次の時代に求められるのは マルチな活躍ができる人

マルチ人材の育成に力を注ぐ同社の姿勢は、「自分のしごとは、自分が社長」との同社の社是にも表れている。「一般の職人に仕事がついてこないのは、案件に関わるヒト・モノ・カネを決められる裁量が小さいからです。当社では、現地で必要なスタッフの手配もお客さんとの値決め、業者との値決めもすべて職人が自分の権限で行える。それが”社長と同じ”の意味です」と丸山氏。

「職人は卓越した技術者であると同時に現場管理人であり、サービスマンでもあります。次の時代に必要な人材は、そういうスーパープレーヤーだと思いますし、そういう職人の生き様はカッコいいと発信していきたいと思うんです」

 

毎年上野の東天紅で行っている三企大忘年会の写真です。お世話になっている協力会社の方々をご招待し、その年を感謝と笑顔で締めくくります。

東京都の取り組みである「トーキョー・シゴト・ワゴン」にて、学生や就職活動中の方々に向けた会社説明会を実施した際の写真です。

会社を守るためにこそ変化が必要

自分の使命は「父が第1章を描いた後の第2章を描くこと」だと言い切る丸山氏。今後の目標については、「会社を大きくしてグローバルに展開していくとは、できていないうちに言うべきことではないので言えません。ただ“絶対に潰さない”とは言えます。世の中の人から必要とされ愛される会社は潰しようがない。そんな会社であるために信頼を積み重ねていくのが、私が取るべき道だと思っています」と語る。

次々と新しい技術が生まれ、仕事の仕方も変わっていく時代。同社が創業時にはたくさんあった同業他社も、より大きな企業に吸収されたり転業・廃業したりで、現在まで続いている企業はほとんどないという。変化を続ける時代の中で事業を潰さないためには、新規事業の立ち上げも含めて、どのように変化していくべきか。人材を何よりの武器として、「守る」ために「攻める」同社の挑戦は続いている。

現場での写真です。ユニフォームの背中には会社のロゴ「SANKI」をプリント。「職人はかっこいい」というイメージを発信すべく数年前に一新しました。

 

【プロフィール】

1973年、東京都荒川区生まれ。関東第一高等学校卒業後、派遣の立場で大手サブコントラクターにて現場監督の経験を積む。2000年に、創業者である父・丸山達雄氏の病をきっかけに「三企冷暖房サービス株式会社(現株式会社三企)に入社。2014年に同社代表に就任、現在に至る。

DATA

株式会社三企

住所:東京都荒川区町屋7-21-5