【アリ】のごとく小さな零細企業が【巨象】のような存在感を放つ世界の大企業を相手に戦う。これは、藤田鉦則氏が代表取締役会長を務めるナノダックス株式会社の話だ。

藤田氏は文系出身ながら、化学製品の開発に長く携わってきた。「とんがった技術」で多くの特許を日本・外国で取得し事業化をしてきた同社には、世界中の名だたる企業が商談に訪れる。

今なお挑戦を続ける藤田氏の足跡をたどると、そこには想像を絶するすさまじい体験があった。いくつもの困難をくぐり抜けてきた「世界のミスター藤田」が、中小企業で働くビジネスマンたちへ送るメッセージとは……

どこまでも発展する夢を、「X」に託して

ナノダックス株式会社が設立されたのは、2007年。これだけ見ると比較的新しい会社のように思えるが、2001年創業のエコラボ株式会社というベンチャー企業から、商品の開発部門を分社化している。藤田氏はエコラボにて、金沢大学・東京理科大学等の大学教授と共もに化学製品の開発を行ってきた。

そんななか、二酸化炭素超臨界技術開発や、両親媒性フェノールを合成した高機能樹脂改質材の開発に至る。ナノ化技術を用いた商品であることから、「nanodaX(ナノダックス)」という名前をつけた。「nanoda」の後ろについている「X」には、どこまで発展するかわからないベンチャー企業や商品に対する[夢]が込められている。

その後、商品名と会社名を同じくした方が宣伝効果が高いと考え、株式を分割して分社化。こうして、ナノダックス株式会社が誕生した。会社自体の歴史は長くはないものの、藤田氏は若い頃からずっと化学製品の開発に関わってきた。

 

 

大学卒業後、すぐに副社長として権限を持つ

平社員として経験を積むのは嫌だと感じていた藤田氏は、自分で会社をつくろうと考えた。しかし、親の反対がありあえなく断念。そこで父親は、同氏が当時住んでいた名古屋市に某大手海運会社の化成品製造子会社「川汽理興株式会社」をつくってくれたのだ。入社当時の周囲の様子について、藤田氏はこう話す。

 

「入社したときから副社長として、強い権限を持っていました。社長は忙しい方だったので、会社の代表印鑑保管も私の役割だったのです。周囲の社員たちは、まるで腫れ物に触るかのように私を気遣いました。完全に親の七光りですが、当時は自分にも力があると勘違いしていましたね」

しかし、ただの勘違いではないことは、積み重ねた実績の数々が証明している。

 

研究開発に没頭し、七光りでは終わらない成果を出す

藤田氏は化学部門に配属され、化学原料を作っていた。代表的な商品は、土壌凝結剤。土に混ぜたら固まる化学原料を開発したことで、他社からの依頼は絶えなかった。

親会社である大手海運会社とのつながりがあったサウジアラビアから、国境を越え依頼が来たこともある。砂の国であるサウジアラビアでは、空港で砂嵐が舞ってしまう。それを土壌凝結剤で何とかしてくれないかと頼まれたのだ。そこで藤田氏はサウジアラビアから砂を送ってもらい、適した土壌凝結剤を開発した。

開発した製品をもってサウジアラビアに単身で乗り込み、売り込みに成功した。出身は文系ながらモノづくりや研究が好きだった藤田氏は、会社では研究員と一緒になって朝から晩まで開発に没頭した。お金をかけて勉強し、自分に技術が足りない場合は、技術を持った社員を雇うことで研究を続けたのだ。

副社長となった理由こそ親の七光りだったものの、その後事業を成長させたのは、紛れもなく藤田氏自身の実力である。

小池都知事からトロフィーを授与される藤田氏。

目指すは、世界一の男。上京後発生した事件に対し取った行動とは

そんななか、会社が他社と合併することになり、事業内容が大きく変わった。化学製品の開発に携わっていきたいと考えていた藤田氏は、会社に留まる意味を見出せなくなり、35歳のときに退職。「俺は世界一の男になる」という若気の至りから、東京へ行くことにした。

そして、東京で新たな会社【株式会社インターナショナルリモートコーポレーション(IRC)】を港区赤坂に設立し動き始めた。

名古屋時代から藤田氏がつながりを強くしていたのが、三菱商事だ。業務内外で世話になり、互いの信頼も厚かったという。他社との信頼関係を構築しながら順調に仕事を続けていたが、1991年に湾岸戦争が起きた。

海外情勢の変化により業務に影響が出た、というだけの話ではない。なんと、藤田氏が世話になっていた三菱商事の現地駐在員がクウェートで人質となる事件が発生したのだ。外務省などの公的機関に相談しても対応が難しく、三菱商事で働く人たちは動けない。そこで藤田氏は「俺が行く!」と宣言し、会社の総力を挙げて人質の救出に向かうと決めた。

 

 行動しないで後悔したくない。挑戦を続ける原点となる体験

戦争真っ只中のクウェートへ行くことに当然周りは反対したが、藤田氏の決意は固かった。

「死ぬことは怖くありませんでした。とにかく、大切な人たちが捕まっているのに、自分だけが日本で黙っているわけにはいかないと感じたんです。もし何もしないで捕まっている人たちが殺されてしまったら、一生後悔すると思いました。行かずに後悔するより、現地に行って後悔したい。命を危険にさらしてでも行動したい。1人でも連れて帰ってこれたら、人質を勇気づけられたら。助けに行った自分が爆弾で死んだとしても、それもまた人生です。万が一帰ってこれたらラッキーだと思っていましたね」

クエート政府はイギリスに臨時行政府をおいていた。なにせ戦争状況だからビザも入国許可も取れないし保険もかけられない状況だったが、アメリカ企業と提携してアメリカ企業の一員として突破した。

自費でドバイから飛行機をチャーターしてクウェートへ向かい、死体が転がる戦場を進み、人質のもとへ。結果的に捕まっていた3人を連れて帰ってきた。藤田氏の勇気ある行動が、人命救助につながったのだ。この壮絶な体験が、困難な状況に置かれても挑戦し続ける原点となっている。

その後は、クエートの油田火災の消火活動に唯一の日本企業として参入した実績を持つ。また、クエートでの油田火災遠隔操作装置の技術を基に海中土木工事遠隔操作装置を開発して三菱商事が総代理店となって世界に乗り出した。

※男のロマンを求めてフランスで開催される「ルマン24時間耐久レース」に参戦。ポルシェチームのバーンシュパン監督を口説き落として、2年間にわたり挑戦した。

チームスポンサーは当時の立石電機から社名変更した「オムロン」と、今はなき「武富士」に支援を仰ぎ、ポルシェ2台で参戦した。翌年には一緒に戦ったマツダのロータリーエンジンが日本車として初めて優勝を果たした、良き時代だったと振り返る。

※釣り糸に二酸化炭素超臨界技術を用いて事業化に参入

ナイロン釣り糸に表面コーティングして耐摩耗性や伸度を増強する技術で釣り糸をメーカーに「nanodaX」ブランドで供給して、販路は世界に拡大をしている。

※断熱材のガラスウールを樹脂高機能化に世界で初めて成功

世界的企業であるフランスのサンゴバン社の日本子会社である「マグ・イゾベール」と、グラスウールの新用途開発に乗り出し開発に成功し世界進出を図り、主要事業として知財戦略に基づき世界展開を進めている。日本特許9件、海外15カ国特許20件を登録。

※三菱電機と冷蔵庫真空断熱材端材をアップサイクルする技術開発に成功

冷蔵庫の断熱材として使用されるガラスウールを真空断熱材(VIP)に加工するときに端材となるガラスウールの処理方法がなく、ナノダックスが再利用技術開発を受託した。新たに熱可塑性樹脂の機能性材料としてアップサイクルし、樹脂成型機の洗浄剤「ecomaru」、3Dプリンター用のフィラメント「3Dmagic」を製品化し世界発売を行っている。

ナノダックスの技術は東京都主催の「世界発信コンペティション2019」で技術奨励賞を受賞している。

 

切り開いた道を引き継いで。終活も兼ねた次世代への移行

「アリが巨象に挑む」「できることからコツコツと」

これはナノダックスのキャッチコピーであると同時に、藤田氏自身の生き様を示す言葉でもある。ナノダックスは製品を製造するのではなく、開発した製造技術のライセンスやノウハウを販売するビジネスモデルを展開している。技術の特許を取得することで、世界に技術的優位性を示しているのだ。

「アリ」のごとく小さな企業でも「巨象」のような大企業をしのぐ存在になれる。これこそ藤田氏が作り上げてきた、中小企業のあるべき姿だ。

そんな藤田氏は、2019年現在75歳。このままトップに立ち続けることで、今後の会社の方向性について周囲から懸念されてしまうだろう。今なお海外からの顧客は絶えないが、彼らはナノダックスを築き上げた藤田氏に会うことも目的として会社に訪れる。

「世界のミスター藤田」がいなくてもナノダックスが継続的に発展していけるよう、今は次世代への引き継ぎに取り組んでいる。

「自分が拓いた道を、次世代の人たちに引き継いでほしい。そして、私の意志が生きているナノダックスにしてほしいと願っています。そのために今は、次世代への移行を進めているところです。これは、私の終活でもありますね」

 

 中小企業が立ち上がれば、日本は変えられる「日本の中小企業よ、立ち上がれ!」

そんな強い想いを胸に、藤田氏は中小企業に向けてメッセージを発信している。

「大企業が世界に対抗する時代は、終わりました。今まで大企業の業績は右肩上がりでしたが、平行線や右肩下がりになってくると、今までどおりの組織では世界に対抗できません。GAFAなどの新興勢力が登場し、今世界の中枢では30〜40代のビジネスマンが活躍しています。若者が中心となり、スピード感をもって動ける中小企業が結集すれば、世界に対抗できるのです」

世界を相手に戦う中小企業を経営する藤田氏だからこそ、日本の中小企業は大いなる可能性を秘めていると確信している。同氏はさらに、こう続けた。

「中小企業が10社集まれば、大企業に対抗できます。大企業は会議・稟議・調査の連続で、新製品を出すのに多くの時間を要する。一方、中小企業はスピード感が命であるため、すぐに行動を起こせます。技術がないなら、他社と組めば良いのです。ない技術を生み出すため研究所をつくり製品化するのには時間がかかるから、今や時代遅れでしょう」

 

そう考える藤田氏は、自ら資金を出して旗を振り、技術を持つ中小企業や大学を集める活動を始めた。自身の懐には一銭も入らないが、代わりに世界にない最高の技術を生み出すことができる。

「世界にない技術を集め、大企業ができない『とんがった技術』をつくることができれば、世界と勝負できます。大企業なんて何もできない、中小企業が立ち上がれば日本は変えられる。自分が命を使ってなし得なかったことを、存続する中小企業に託したいと思います」

壮絶な体験をくぐり抜け、自ら道を切り拓いてきた藤田氏は、日本の未来が中小企業に懸かっていると熱弁する。

日本の中小企業が独自の技術を武器にしながら世界で戦うことを心待ちにしつつ、藤田氏はこれからも巨象に挑み続ける。

また、社会貢献活動として藤田氏が理事長を務めるNPO法人「エコです環境応援団」で、3Dプリンター「3Dmagic」採用した義足・補助具による「夢プロジェクト」を展開している。「とんがった技術」が世界市場にイノベーションを起こし、歩くことが難しい子供が歩くことができる「夢の一歩」を支援するCRS活動をカンボジア、コートジボアールで進めている。藤田会長の描く夢は、これからも世界に広がっていく。

 

プロフィール

藤田 鉦則(ふじた・まさのり)氏…1945年6月名古屋生まれ。エコラボ株式会社を設立。二酸化炭素超臨界技術による化学用材・両親媒性フェノールを合成した高機能樹脂改質材の開発を機に、ナノダックス株式会社を分社化。高機能樹脂強化グラスウール資材の研究開発をはじめ優れた技術を生み出し、知財戦略を世界展開する。

ナノダックス株式会社

〒116-0013 東京都荒川区西日暮里2-22-3 アネックスウエスト4F

TEL:03-6806-8501

URL:http://www.nanodax.jp/  http://www.nanodax.com