「私は先代社長と血縁関係もありませんし、まして製造業出身でもありません」。株式会社エム・ディー精密代表取締役社長の立原賢治氏は、そう語った。

エム・ディー精密は、文字どおり精密な金型パーツやプレス製品を製造する会社である。日頃から高精度を追求し、進化を続けるバイタリティー溢れる中小企業だ。

製造業未経験の立原氏はいかにして、そんなエム・ディー精密の2代目社長となったのか。そこには、想像を絶するドラマがあった。

税理士事務所の担当者から、気付けばエム・ディー精密の役員に

株式会社エム・ディー精密代表取締役社長の立原賢治氏は、もともと税理士事務所に勤務していた。エム・ディー精密は担当会社の一つで、税務や会計のサポートをしていたのだ。

あるとき立原氏は、十数年勤めた税理士事務所を退職し、IT関連の事業をおこした。そして事業が軌道に乗り忙しくしているさなか、先代社長から連絡があった。

 

「『総務や財務を担当していた体調を崩し、業務に支障が出ている。自分の仕事をやりながらでもいいから、手伝ってくれないか』。先代社長から、そのように頼まれました。

先代社長には税理士事務所時代お世話になりましたし、担当者だったからこそ会社の中身はよくわかっていました。そしてなにより先代社長の会社に対する熱い想いに心を動かされ、2011年3月からエム・ディー精密で仕事を始めたのです」

最初は週1回の頻度で手伝っていた立原氏だったが、1年が過ぎる頃には週のほとんどを会社で過ごすようになっていた。先代社長と仕事をするようになり、その人間的な魅力に惹かれ、自身の事業をたたみ先代社長を支えていくことを決意。その後総務部の主任から部長、常務へと昇進。税理士事務所時代に培ったスキルで先代社長を支えながら、役員として経営に励んだ。

しかし、予想外の事態はこれで終わりではなかった。

 

先代社長の急逝により、2代目社長へ

2017年10月、先代社長が急逝した。

会社の健康診断で内臓に腫瘍が見つかって手術をし、無事成功して徐々に具合が良くなっていたはずだった。しかし、手術から10日ほど経った日の深夜、容態が急変し、そのまま2日後に、帰らぬ人となった。

先代社長は確かな技術力をもって独立し、強烈な個性とカリスマ性で社員を引っ張ってきた人物だ。先代社長を慕って集まった社員は、皆一生懸命エム・ディー精密に尽くしていた。享年56歳、再びリーダーシップを発揮して社員を率いてくれるだろうと誰もが考えていた矢先の出来事だった。

先代社長がいなくなり、残された四十数名の社員はうろたえた。皆辛い想いを抱えていたが、会社を止めるわけにはいかない。立原氏はすぐに幹部を集め、2代目社長を決めることにした。

 

「私は税理士事務所出身で財務や総務を担当するために呼ばれたので、製造業の現場に関する知識はありません。一方、幹部たちはずっと現場で仕事をしてきたため、経営のことには詳しくありません。そんななかで、先代とともに会社を経営してきた私が社長という役割を引き受ける事になったのです。

その場で皆にお願いしたのは、現場を知らない私が正しい経営判断をするために、正確な現場の情報を責任持って上げてほしいということでした。」

そうして2017年10月、立原氏が2代目社長となりエム・ディー精密の新たな歴史がスタートした。製造業界を知らない社長の誕生は、波乱の幕開けだった。

 

現場を知らない社長の苦悩――役割分担を徹底する

2代目社長となった立原氏は、すぐお客様のもとへ挨拶に向かった。そこで感じたのは「現場を知らない人間が社長になって会社は大丈夫なのか」というお客様の不安な思いだった。

「私は正直、日常の経営に関して不安はありませんでした。税理士事務所時代、経営者相手に仕事をし、常にその立場に立って物事を考え、会社の経営や決算に向き合ってきましたから。

しかし、製造業の現場や加工については素人同然です。まして私は先代社長が連れてきたとはいえ、社歴も浅かったし、財務担当という事もあって、積極的にお客様に顔を出していた訳でもありませんでした。「エム・ディー精密 = 先代社長」と誰もが思っているこの会社を、私がやっていけるのか不安でしたし、私よりお客様の方が不安だったかもしれません」

しかし、社長となった立原氏が1から製造業を学んだところで、何十年と現場で働いてきたベテランたちには到底敵わない。そこで、現場情報の報告は幹部に任せ、立原氏はそれをもとに経営判断するという役割分担を徹底した。

 

「社員との打ち合わせを密にし、お客様にもきちんと説明しながら、先代社長が20年かけてつくった会社を引き継ぎ、想いをつなごうと決めました。残った自分たちがやっていくんだと皆で一致団結し、それぞれが自分の役割を果たすことに集中したんです。とにかくお客様に迷惑をかけないよう、皆、必死だったと思います」

 

製造業を知らないことは、むしろ自分の強みであると気付く

製造業の知識を持たないことが、自身の弱みであると考えていた立原氏。しかし、社長となって2年が経過した2020年現在では、製造業を知らないことが自身の強みだと思うようになった。それは、製造業界やエム・ディー精密における常識がビジネスの一般常識ではないと判断し、改善できるからだ。

「例えば私は税理士事務所にいましたので、お客様からの書類提出が遅れたとしても、税務申告の期限は絶対に守らなければいけませんでした。徹夜を繰り返してでも月末には税務署に提出しなければならない。そんな私から見れば、お客様と約束した納期に間に合わないというのは、あり得ないことです。

しかしこの業界では、納期に間に合わないという事もあるんです。もちろん、いろんな事情はあるのですが、たった1日2日、お客様が許してくれるから信頼を失っていないとはいえ、約束した納期は絶対という考えを失くしたらプロではない」

 

さらに立原氏は、当時のエム・ディー精密の話を続ける。

「先代社長は、強烈なリーダーシップで皆をまとめ上げる存在でした。社員は社長の言うことを聞いて仕事をしていれば良かった。でも、それはひとつ間違えると、自分たちで物事を考え、判断をし、より良いものを作るというモノづくりの原点を忘れてしまう恐れもあります。

現場を知らない私が先代社長と同じようにはできません。強烈なリーダーシップで引き上げてくれるリーダーをなくした私たちは、一人一人が自分の頭で考えて生産性を上げ効率的に良い製品を作ることができなかったら、生き残っていけません。昨日までできていたことを今日も同じようにやるのは、作業であって仕事じゃない。それもビジネスの世界では当たり前のことですよね。私が先代社長とともに考え、定めた当社のビジョンの中には、『常に進化し続ける会社であること』という一文があります。まさにこの事です。」

中小企業の社長が、現場もわからないでどうするんだーー。そんなお客様の不安を察し、負い目を感じていたという立原氏。しかし今では、現場から上がってくる正確な情報と税理士事務所時代の経験を活かし、適切な経営判断で会社を存続させている。

「今では、現場を知らないことを負い目には感じていません。現場を知らないことを強みにもできるし、税理士事務所時代、多くの経営者と仕事をさせて頂き、会社の良い時も悪い時もみてきた経験こそ、私の強みであり財産です」。キッパリとそう宣言する立原氏は、就任後2年で早くも経営者の貫禄を見せている。

エム・ディー精密の工場の様子

高精度の追求と一貫生産により、先代社長の想いを継ぐ

エム・ディー精密が創業以来継続しているのは、金型パーツの製作だ。確かな技術力により、細かいパーツも精巧に作り上げる。しかし金型パーツは毎月ゼロから売上を積み上げなければならないため、年商を伸ばすのは困難を極める。実際、エム・ディー精密は創業から15年ほど、年商2億円を超えることができずにいた。

そこで先代社長は2011年から、新たな事業として精密プレス製品の生産を始めた。プレスは数カ月〜数年単位で受注が見込めるため、計画的に仕事を進めることが可能。新たな戦略が功を奏し、売上は徐々に伸びていった。現在のエム・ディー精密の売上のうち、約65%は精密プレス製品による売上だ。

創業以来得意とする金型パーツの製作

売上が順調に伸び続けるなか、先代社長は年商10億を一つの目安としていた。

2017年9月、当時常務だった立原氏は、入院中のベッドでも常に会社のことを気にかけていた先代社長に、前期に続き2期連続で年商10億を達成できそうであることを報告した。その時に共有した達成感や先代社長がベッドの中で見せた安堵の表情は今でも忘れていないという。しかし、先代社長に正式な決算を報告することはできなかった。

先代社長は生前、「10億円を達成したとしても、1期だけではまぐれで終わってしまう。2期3期と継続して達成したい」と話していたという。立原氏と社員たちはその想いを継ぐため、必死に売上を維持してきた。現在の年商は、約11億円。先代社長の想いは確かに守られている。

エム・ディー精密がお客様から評価され売上を維持しているのは、設計から部品製作、組み立て、試作、量産までを全て自社で行う一貫生産のおかげでもある。全ての工程を自社で完結させるため、プレス機や熟練技術者が揃っている。図面を1枚依頼すれば、製品の量産まで担ってくれるのだ。

パーツを微調整したいとお客様から言われた場合も、全て自社で行っているからこそ融通が利き、スピーディに対応できる。常に短納期といわれる製造業界において、スピード感をもって高精度な製品を作ることができるのは、大きな魅力といえるだろう。

町工場で終わらせず、会社を次の世代に引き継ぐ

海外諸国の関係性や後継者不足、求められる精度の高度化など、昨今の製造業界を取り巻く環境は厳しい。だからこそ、どうやって生き抜いていくかを考えなければならないと立原氏は話す。

 

「製造業が昔のように忙しくやっていけるというのは、もはや夢物語です。でも、良いことも悪いことも一方的に続くことはありません。だから、今の製造業界を取り巻く環境はあまり良くないかもしれませんが、必ず良くなるときが来る。

そのとき乗り遅れないために、常に進化し続ける必要があります。常に進化していかないと、世の中の流れや多様化するお客様のニーズについていけなくなります。精度や難易度の高い仕事の話をいただいたとき、『あの設備を導入していれば』と後悔したくはありません。

だから、世の中や製造業界が少し上を向いてきたときにスタートダッシュをかけられるよう、良いことは取り入れ駄目なことは改善し、設備投資も惜しまず準備しておきたいと思います」

いつか到来するであろうチャンスに備え、進化を止めない。それに加えて立原氏は、会社を次の世代のために整えることも考えている。

「製造業出身ではない私が社長になった以上、町工場で終わらせたくはないんです。エム・ディー精密を当たり前の企業として整え、次の世代に引き継ぐ。それが私の役割だと思っています」

先代社長がつくり上げた会社をそのまま継ぐだけでなく、進化させ整えたうえで次の世代に引き継いでいく。予期せぬ事態から2代目となった製造業未経験の社長は、自身の役目を果たすべくこれからも歩みを止めないだろう。

 

プロフィール

立原 賢治氏…1968年茨城県日立市生まれ。様々な職種を経験した後、26歳で税理士事務所に勤務、会社の財務や経理などに携わる。2011年3月から、株式会社エム・ディー精密の財務を担当。2017年10月、同社の代表取締役社長に就任。

株式会社エム・ディー精密

〒318-0004 茨城県高萩市上手綱3641-48(本社)

TEL:0293-23-8255

URL:http://www.mdseimitsu.co.jp/

社員数:53名

E-mail:info@mdseimitsu.co.jp