シャッター業界の雄 株式会社横引シャッター市川慎次郎代表取締役

コロナ禍が一向に収まらない中、いち早く足立区にアクリルパーティション100台を寄贈して話題になった株式会社横引シャッター。同社代表取締役市川慎次郎氏の経営方針は近年、様々なメディアから注目を集めている。

「定年のない雇用」「ガン患者に優しい職場」「無借金経営」……。数々のセンセーショナルで挑戦的な方針はどこから生まれてきたのか。その淵源について伺った。

 

自分たちができることで社会に貢献する

足立区綾瀬に社屋を構えて50年になる株式会社横引シャッター。キオスクなどで見かける開閉の時に横に引くタイプのシャッターを専門に製造している。この「上吊式横引きシャッター」で特許を持ち、特殊シャッター業界トップシェアを誇る。

同社の製品は「スマート・スムーズ・セーフティ」の3Sなシャッターを掲げ、また様々な曲線を作ることが可能な利点を活用し、オーダーメイドであらゆる要望に答えられるのが強みだ。

しかし、なぜシャッターの会社がアクリルパーティションを寄贈しようと考えたのだろうか?

横引シャッターが制作したアクリルパーティション

「ゴールデンウィーク前に足立区役所に行った時、パーティションが設置されている部署と無い部署があるのが目についたんです。それで、もしかして足りていないのかな、と思ったのです」と同社市川慎次郎代表取締役は寄贈のきっかけについて話す。

これまでずっと足立区に根を下ろして経営してきた。だから足立区へ恩返しをしたい。市川代表はそう考えた。

「その日のうちに試作品を作って、弊社ではこういうものを製作できますが、と話したら喜んでいただいて。他の業者売り込みもあったそうですが、弊社では寄贈したいと申し出た。台数についてもいくらでも必要と言われたので、とりあえず100台製作することにしました」

「本当に100台もいただけるのですか」と担当が感動したという。5月12日に様式を決定した後、即日製作を開始し15日の朝には全台数を納入した。早速翌日から区役所の各所に設置された。

パーティションはその後も追加で納め続けているのだが、この活動について市川代表は話す。

「弊社ができる『身の丈にあった社会貢献』だと考えています。身の丈に合わない社会貢献では続かないし、売名行為と思われるだけ。創業者である先代は常々『正々堂々と儲ける』と言っていました。正々堂々とはまず会社が儲けて税金を納めること。会社が利益を上げること自体が社会貢献になりますから。そのうえで地域のために何ができるのかを考えていく必要がある」

企業としてできることで社会に還元する。パーティション寄贈もその一つだった。

「弊社は足立区に根を下ろしてやってきました。周囲には多くの関係各社、仲間たちがいる。弊社は『足立ブランド』を取得しており『足立区にはこんな良い企業がそろっている』と全国にPRに努めています」。

 

ガン患者の雇用で注目

同社が近年メディアに取り上げられた話題は数多い。例えば、ガン患者の雇用についてだ。

「元々は先代社長の考えたことで、以前から社員がガンになっても雇用し続けていました。しかし社長とあまり話さない立場の人だと病気のことは話しづらい。そういう人は、自分は仕事を続けたいと思っていても奥さんから『会社に迷惑をかけてしまうから……』と身を引くことを促されてしまう。私はその温度差が嫌だった」

市川代表は先代社長の方針を更に進めることにした。

「まず、ガンになったら家族と共に話し合いの場をもちます。そこで私は家族の想いや本人の想いを確認したうえで、家族は療養してほしいと思っているが本人が働きたいのなら、本人の希望を尊重させてあげてほしいと伝えてきました。『仕事ひと筋でやってきたお父さんを、病気になったからと仕事を取り上げたら、本当に病気になってしまう』。仕事に行きたいと言うのなら、させてあげて欲しい、家族が仕事を取り上げないでくれと。そして本人の了承が得られれば社員にも病気のことを伝えます。特に同じ部署には。本当に体調が悪くなったら周囲に負担をかけることもありますから。これらをちゃんと話せば、家族も同僚も皆納得してくれます」

余命4ヶ月と診断された人が、そのまま働いて2年半も勤めてくれた、会社も最期まで隅に置かず戦力の1人として扱っていましたと市川代表は話す。

「特別なことをしているつもりはありません。『社員は家族』とよく中小企業の社長は言います。しかしそれは本当なのでしょうか? 本当に家族なら体調を気遣うと共に、本人の気持ちを尊重するべきではないでしょうか。私は口先だけの社員は家族ではなく、本当の意味での『社員は家族』を実践しようとしているだけです」

この志が評価され、2018年には東京都から「がん患者と仕事の両立への優良な取り組みを行う企業表彰」優良賞を受賞している。

 

「92歳の社員」定年なき雇用制度

ガン患者の雇用と共に、同社の注目される企業精神に「定年のない雇用制度」がある。

「これも先代の方針なのですが、『社員のクビを切らない』。そもそも、59歳と60歳で人の能力に変化はあるのでしょうか。ある日突然、能力的には何の変わりがないのに給料が変えられてしまう。これは全く会社の都合で、フェアじゃない」

「パート社員も同様です。弊社の規模なら正社員とパートの仕事に違いはありません。だから全員正社員にしました」と市川代表は続ける。

「92歳で工場で働いてくれている人がいます。入社した時で78歳でした。当初は違う部署の仕事をしてもらっていたのですが、ある時工場の機械の具合が悪い時に、サッと直してくれた。それを見て工場の仕事に移ってもらいました。いつも楽しそうに働いてくれています。ただ、年齢が年齢ですから、彼は雨の日にはお休みです。自転車通勤なので、雨の日は危ないから。しかし平日晴れの日だけでも平均週4日働いてくれています。仕事が終わるのは午後5時ですが、冬場だと周囲はもう真っ暗になっている。自転車で帰宅するには危険ですから、冬は3時くらいには上がっていいよと言っています。しかし本人は『他の人が5時まで働いているから気が引ける』と言ってきて、結局4時くらいの退社になる。そして春になって日が延びてくると5時に戻ります。……彼は仕事しているのが生きがいで楽しい。ですから『もう来ないでくれ』と言われるのが一番辛いことだそうです。企業として考えるなら、機械を導入したほうが生産量は増えるかもしれない。しかし、現在の生産力で部品が間に合わないこともないですし、会社にもデメリットがなく本人も楽しんでやってくれているのですから。社員は家族、私はそれでいいと思います」

現在も65歳以上が11人、生きがいをもって仕事に向かっている。

 

町場の修理工場からは買わないと言われて起業

このように個性的な経営を行っている横引シャッターだが、ここに至る変遷には色々な物語があったという。その嚆矢は株式会社中央シャッター。先代が創業した会社だ。

「創業当時はシャッター塗装の会社でした。先代が素人で会社を起こして何ができるのかと考えた時に、シャッターの塗装はできるだろう、と考えて始めたのだそうです」

仕事をするうち「シャッター屋さん、いいテント屋を知らないか」と聞かれるようになったのでテント業をスタート。さらに「いい看板屋を知らないか」と聞かれ、更に看板業も、と次々に会社を創業していった。今ではそれが中央シャッターグループを形成している。

では、なぜ横引きシャッター専門の会社も創設することになったのだろうか。

「当時も今も、シャッターの大手といえば三和シヤッター工業株式会社さんや文化シヤッター株式会社さんなど。それら大手企業が上下に動くシャッターも横引きのものも製造販売していました。しかし横引きタイプについては上下のシャッターに滑車を付けて横に滑らせているものでした。この機構だと、長いこと使っていると時に不具合が発生してしまうことがありました。やはりお客様には末永くご利用いただける製品を販売する責任が当社にはありますから、自分たちで、スムーズに動き、且つ頑丈な機構を開発し、特許を取得して上吊式の横引きシャッターの製造を始めたのです」

他社ではシャッターの下に車輪をつけて走らせているから、ゴミを噛むと動きが悪くなる。しかし上に滑車を付けて空中に浮かせていれば下にゴミが溜まっても干渉しないので、長いこと動きがスムーズな状態を持続できる。

こうして生まれた「上吊式横引シャッター」で特許を取得したのだが、これほど良い製品を作っても大手は買ってくれなかった。

「大手さんから見れば我々は修理会社だったからです。『町場の修理工場がどんなに良い製品を作っても俺たちは買わない』とハッキリ言われた。だったら特殊シャッターだけを作る専門メーカーを作ってしまおう。そうしたらメーカー対メーカーとして堂々と張り合っていける。そう考えて株式会社横引シャッターを立ち上げたのです」

株式会社横引シャッターの製品の優秀さを示すエピソードを市川代表は話してくれた。

「以前、自分が企画を出してエンドユーザーに対して保守点検をして利益を得ようとしたことがあります。それでお客様に営業をかけたのですが、設置から十何年も経っても全く作動に問題はなく、調子が悪くなってないので保守点検はいらない、と言われて全滅してしまいました(笑)。だったらこっちから販売時に10年保証を打ち出していこう、ということで今はやっています」。

 

6年間で7億円を返済する

市川代表氏自体は大学を卒業後、父の興した会社に入り、総務部長・経理部長として経営のノウハウを学んできた。

「当時、弊社には9億円の借入金がありましたが、すべて先代の人望・信頼で借りていました。しかしいずれ会社と負債を継ぐ私としては先代が倒れてしまったら会社が立ち行かなくなってしまうのが不安だった。だから先代の目の黒いうちに全て返済してしまおうと計画し、経理に入って6年間で7億円を返済しました。その後も返済を続け今は無借金経営になっています。この経営が注目されて取材を受けたりもするのですが、特別難しいことをやっているわけではないと思います。経営者としてやると決めるかどうか、そして一度決めたら結果を出すまでやり続けるかどうか。それだけの話です」

その後、改めて先代から会社を引き継ぎ2012年に代表取締役に就任。今は自社のことは元より、日本の経済にも目を向けている。

「日本の中小企業はバブル後、弱くなりました。中小企業の7割が今、赤字に陥っています。中小企業にどれだけよい人材・技術があったとしても、大手と同じ土俵で戦ったら勝ち目はありません。しかし、中小企業が戦えるブルーオーシャンはまだたくさんある。中小企業の利点を活かせる場所を見つけていけば、赤字の7割は黒字に変わる。それで日本の景気は大きく変わります。大事なのは戦える場所に経営者が気づくかどうか。私が取材に応じたり情報を発信したりするのは、それに気づいて欲しいからなのです」。

 

「お父さん、会社に行くのが楽しそうだね」と言われる会社にする

「私は創業者ではないので、先代が作った土台を引き継いで社長になりました。ですから、社員に支持されないと社長としてやっていけない。『社長業』をさせてもらっている、と考えています。だから社員を本当に家族と思って接しています」と話す市川代表に、今までで嬉しかった言葉を伺った。

「ある社員が『お父さんは本当に会社に行くのが楽しそうだね』と子供に言われました、と聞いた時。こういう声が上がる会社にしていきたいと自分が総務部長時代から密かに思い続けていたので嬉しかった。また、私の息子も学校で将来の夢を聞かれた時に『お父さんの会社を継いで大きくしたい』と答えてくれました。幼い頃の私も憧れていた『働く父の背中』を今の自分も見せられていた、と感じられたのは嬉しかったですね」

最後に、コロナの感染拡大が続く今後の舵取りについて伺った。

「1月に中国で新型コロナが発生し拡大していく中で、まず頭に浮かんだのが『止まってはいけない』ということでした。まず社員とその家族全員の健康を守るためにマスクと消毒用アルコールを確保した。まだ日本国内でまん延する前の1月末からです。今も打てる対策はなんだろうか、自分たちができる『攻めの姿勢』はなんだろうと常に考えています。今後もそういう心意気でやっていきたいですね」

雇用、対大手企業、そしてコロナ。多くの中小企業経営者が頭を悩ませている数々の問題に、攻めの姿勢で立ち向かう市川代表の目は、常に「その先」を見据えている。

 

市川慎次郎

1976年生れ。父市川文胤氏の起業した株式会社中央シャッターへ入社後、総務部長・経理部長を経て2012年、同社及び株式会社横引シャッター代表取締役に就任。2008年、特殊シャッターの技術で「足立ブランド」認定。2018年には「がん患者と仕事の両立への優良な取り組みを行う企業表彰」優良賞受賞。

株式会社横引シャッター

〒120‐0005 東京都足立区綾瀬6‐31‐5

Tel.03‐3628‐4500

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