田浦明氏が取締役社長を務める有限会社GISは、運送業と製麺業という2つの全く異なった業種を持つ会社だ。なぜこの畑違いの仕事を担うことになったのか、その経緯と苦労について伺った。

たった1台で宅配業を始める

埼玉県草加市は江戸時代から日光街道の宿場町として発展した町だ。また現在では都心への交通アクセスにも便利なところから「埼玉都民」とも呼ばれる都内に通勤する人々のベッドタウンとしても栄えている。草加市の中でも、瀬崎一帯は東京の足立区と手長川をはさんで隣り合っており、住宅や町工場が並ぶのどかな雰囲気を持つ地域だ。

そこに社屋を構える有限会社GISは運送業と製麺業という2つの業態を持つユニークな会社だ。

「長く2つの事業をかけ持ちしていたのですが、8年ほど前から運送部門は『株式会社GISエクスプレス』として別法人を立ち上げたので、有限会社GISは麺の製造・販売を主体とする会社になっています」

そう話す同社の現社長田浦明氏は、同社の創業者でもある。

「昭和63年に、たった1台のトラックを使って宅配業をスタートしました。当時の社名は田浦運送。私が34歳の時です。当時はバブル景気の真っ只中で、世間が好景気に浮かれているのを横目に、必死で働いていたのを覚えています」

持ち前の熱意と誠実な仕事で徐々に事業の規模を拡大し、保有する車両も10台にまで増えた頃、田浦社長に大きな転機が訪れる。

「起業して10年も経ったころです。東京中央区の築地に置かれていた中央卸売市場で、出入りする飲食店を相手に配送業を営んでいた方が、引退することになった。私はその人と関わりがあったのですが、その人から仕事を引き継ぐことになって、それで急に事業の規模が大きくなった。それまでは10台ほどしか無かった配送車が37、38台ほどに増えました。それを機に社名も有限会社GISとしたのです」

それまでの苦労が報われたように順風満帆に進み始めたと思われた瞬間だった。

しかしその矢先、再び苦難が田浦社長を襲う。それが有限会社GISの現在の主事業である製麺業への参入だった。

 

苦労ばかりだった製麺業への参入

田浦社長になぜ運送業と全く業種の異なる製麺の仕事に携わることになったのか伺った。

「運送業に勤しむ中で、ある製麺工場が顧客の中にありました。そこを担当していた弊社の営業と先方の工場長から『製麺所の経営に携わってみませんか』と持ちかけられたのです。平成12年ごろのことでした」

当時、田浦社長は47歳。築地市場の仕事もあり、幅広く経営に手を伸ばしている時期だった。

営業マンと工場長からは既に取引先も決まっていて、製麺機材も揃っているからすぐに利益が見込める、と説得された田浦社長は参入を決め、有限会社GISに製麺部門を設置する。

「麺のことは全く知らなかったのですが、『儲かるから』と言われて話に乗ってしまいました。しかし蓋を開ければ『いる』と言われていた取引先は存在せず、スタートしてから半年ほどは全く利益が上がりませんでした。それで運転資金が底をついてしまった」

 

すると、最初に話をもちかけてきた営業マンが「自分が少し出します」と200万円を出資。これを使ってしばらく経営を続け、なんとか業績が上向きになるまで持ちこたえよう、ということになった。

「ですが、資金を出してくれた営業がそのままいなくなってしまった。それに驚いていたらヤクザが会社に現れて『金を返せ』と。いなくなった営業がヤクザから金を借りていたのです」

経営もままならない状態からさらにヤクザにおしかけられる日々となってしまい、田浦社長も頭を抱えてしまった。

「……しかし、借りてしまったものはしょうがない。会社の運転資金として使ったのも事実ですから、これは仕方ないと腹をくくり、毎月少しずつ返済することに決めました」

 

そうしているうち、製麺のノウハウを持っていた工場長までも会社を辞してしまった。田浦社長を製麺業に引き込んだ2人とも、開業僅か1年もしないうちに会社を離れてしまったのだ。

「営業もいなくなり、麺を作れる人もいなくなってしまった。流石に途方に暮れ、このまま廃業しようかとも考えました。ですが借金もあるし、当時高校を出たばかりだった私の三男坊を修業のつもりで会社に入れて製麺の勉強をさせていましたから、彼にやってもらってなんとか麺を作り続けることができました」

こうして多難の出発をした製麺部門だったが、田浦社長がある商品に活路を見出したことで光が差してくる。

 

ノベルティ商品でチャンスを掴む

「発足当初は取引先が1社か2社、という状況が続きましたが、現在は10社以上と取引をしています」

「これだけ増えたのは、商品をスーパーマーケットなどの小売店に卸すのではなく、ノベルティ商品に力を注いだ結果です」と田浦社長は胸を張る。

企業がイベントなどで配布したり、自社製品の販促で使用するノベルティ商品は、店頭に並ぶのではないのでヒット商品が生まれるようなマーケットではない。しかし確固たるマーケットがあり、利益を見込まれた。田浦社長はそこに着目した。

ノベルティ商品を手がけるには商品開発のスピードと小ロットでも対応できる小回りのよさが必要になる。田浦社長は運送業以来のお客様第一の誠実な対応がそこにマッチした。

「現在ではトヨタや日産、ホンダなどの自動車会社、株式会社カネボウ化粧品や株式会社資生堂などの化粧品会社、そして株式会社ヤマダ電機や株式会社コジマといった電気量販店など様々な大企業のノベルティをてがけています」

「今年もお盆が明けるくらいまで、冷やし中華のセットを大忙しで作っていましたよ」と田浦社長は笑う。

 

現在は様々なオリジナル商品の開発も手がけている。代表的なものは板巻うどんという、1枚の帯状になっている麺だ。これは茹でる直前にざるうどんで食べる時には細切りに、煮込みうどんにする時には太目に荒く切ってもらって食べるというもの。1人1人の好みに合わせられるのもさることながら切立てのコシのある麺をいつでも食べられるのが魅力の商品だ。

「他にも生パスタもラインナップしていますし、それらを美味しく食べるレシピもYoutubeで公開しています。また工場で2ヶ月に1回直売会を開催しており、地域の皆さんで賑わっていますよ」

一度は経営を諦めかけた製麺業だったが、紆余曲折を経て大きな花を開かせようとしている。

 

……昭和28年に北海道で生まれた田浦社長は18歳の時、先に東京で生活していた兄を追って上京してくる。

「当時はカメラマンになることを目指していたので、東京写真専門学校に入ってアルバイトをしながら夢に向かっていました。しかしなかなか結果を出せず、東急ストアに就職しました」

その後12年、東急ストアで勤務した後に起業、田浦運送をスタートすることになる。

「ただ真っ正直に仕事をしてきただけです」と話す田浦社長。幾多の苦難を乗り越えたその姿勢が、後に続く経営者への手本を示している。

田浦明

 昭和28年、北海道生まれ。18歳で上京し、その後東急ストアに12年勤務の後、昭和63年田浦運送を起業。平成11年に有限会社GISに社名変更。運送業と共に製麺業を開始。同社取締役社長となる。運送部門は平成24年に株式会社GISエクスプレスとして独立。

有限会社GIS

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