商売が商売だけに(?)、さすが〝熱処理〟には長けたものである。

日本中が熱病に罹ったあのバブル期にも舞い上がることなく、淡々と構え、しっかりと人づくりをし、次への足掛かりを着々と築き上げる。大局的見地に根差した、揺るぎのない経営観の持ち主といっていいだろう。

 

中国とタイに、この夏にも拠点を開設すべく準備に余念のない、日光金属(栃木県矢板市/略称ニッキン)のトップリーダー佐藤英俊氏だ。

氏の描く海外戦略と経営持論を軸に、今後、この国の中小モノづくりはどの道をどう歩んで行くべきかを、じっくりと探ってみたい。

 

 

真の狙いは独自のアジアネットワークづくり?

いわゆる通常の海外進出とは、趣を大きく異にしている。

「こちらでつくっているモノを向こうで売る、ということではありません。材料も部品もすべて向こうで調達し、向こうで再製品化して向こうで売ります。その売り先も日系のメーカーです」(佐藤氏、以下同)

要するに、中国やタイに進出している自動車部品メーカーや熱処理会社等の要望に応える形で、現地製造の耐熱処理治具や炉内金物、耐摩耗鋼部品等を買い付けて販売し、併せて独自のサービスも提供するという営業サービス拠点である。

 

 

その意味では、

「ニッキンさんが間に入ってくれれば安心」

というメーカー心理を汲み取った、極端に言えば従来からの顧客に対する満足度サービスの延長線上にある進出といっていい。それが証拠にこれはこれ、あれはあれと明確に別けて考えており、

「ごく一部の輸出入はありますが、国内で売るモノを向こうでつくるということはしません。国内で売るモノは、これまで通りすべて国内の工場でつくります」

と、氏はキッパリ。

もちろん向こうの製造業とこちらのモノづくりとでは、端から要求される所も、目指している所も違うという認識と実態に即してのことだ。

 

「それを同じ土俵で戦うなんてバカげています。品質で勝っていても価格では勝負になりません。価格で勝負にならなければそもそも相手にもしてもらえません。善い悪いは別にして、まだそういうレベルなんですよ、向こうの製造業に対する期待や要望は」

したがって今回の進出そのものには、何の気負いもないと氏はいう。

 

 

目先の損益に囚われず淡々と着々と

それにしても、

「大掛かりな工場を持って行くわけではありませんからね。仮に上手くいかなくて撤退することになっても、私どもにとって致命傷になる大きな額の投資ではありませんよ。身の丈に合わせていろいろとリスクもコストも計算した上で決めたことですし、4年目くらいにでも黒字化できればいいと考えていますから、そうガツガツすることもありません」

と、聞いたこちらが拍子抜けするほど、あくまでも淡白な物言いなのだ。

 

しかしここからが実は、氏の真骨頂である。

「気負いがないと言ってもビジネスですからね。そのための準備にはこれまでも万全を尽くしてきましたし、今後も万全の態勢で臨みますよ」

 

ということで将来、少なくとも5年先を見据えた市場や立地の徹底した調査と、強固なパイプづくり、ネットワークづくりを着々と進めている、今はその最中だというのだ。

「私自身もそうですが、役員クラスの営業幹部から若いエンジニアまで、中国にもタイにも毎月のように飛んで行っては、何らかの情報を持ち帰ってきます。そうした結果、いろいろなことが見えてきましてね。まだ詳しいことは言えませんが、そう遠くないうちに、一気に勝負に出るチャンスが巡ってくるかも知れませんよ」

 

聞くと、どうやらこの夏に開設する中国、タイの拠点は、数年後の本格進出を睨んだ足掛かりであり、アジア全体を視野に、いわばニッキン独自の、機動性に富んだ新たなネットワークづくりの拠点にしようというのが真の狙いのようだ。

すでにベトナムやインドネシア、カンボジアを候補地に絞り、工場開設の条件や環境等を検討する段階にまで入っているという。

 

ご案内の通り、〝アジアは所詮アジア〟と、いつまでも後進国扱いしている時代ではもはやない。

TPP(環太平洋戦略的経済協定連携)が機能すればEU(欧州連合)をもはるかに凌ぐ超巨大市場へと大変身を遂げる。

とりわけ自動車、電機、環境等に関わるハイエンド(高価格高品質)な製造業は、富裕層と呼ばれる人たちを中心に、飛躍的な拡大の一途を辿るものと推測されるのだ。

 

となると今度はたとえアジアといえど、安かろう、悪かろうだけでは済む道理がない。そこで物を言うのが、日本が世界に誇る〝圧倒的〟技術力である。

 

着眼大局─。広辞苑によると、《ものごと全体のなりゆきに注意し、気を配ること。転じて、勝負の形勢をも指す》とある。

こうしてみると国内販売は国内製造を堅持するとした先述の決意といい、真の勝負所を数年先の超巨大市場に置いた着眼力といい、佐藤英俊という人のこれが経営持論、延いては経営観といっていいかも知れない。

いずれにしても今夏の海外進出が、よく聞く右へ倣え式のそれでないことだけは、読者諸氏にも十分にご理解いただけた筈だ。

 

 

揺るぎない経営観に基づいた先行投資と人材育成

氏の経営観については、今少し掘り下げて見る必要があろう。

しかしそのためにもここらで、このニッキンという会社の誕生の経緯と事業内容、さらには経営者としての氏の施策等について、まずは触れておきたい。

 

同社の設立は1989年だが、経営者としての氏の素養を窺うには、その20年前、さらには幼少期にまで遡って見なければならない。掻い摘んでいうとこうだ。

 

生まれ育った家は、栃木県ではよく知られた鋳鋼品(はがねいもの)の老舗工場(株式会社明賀屋鉄工所/宇都宮市)である。

工場主である父親の背中と、それを補佐する長兄の忙しそうに働く手許を見て育った氏には、自分だけが他の道を選ぶという選択肢など思いも寄らなかったようで、大学(日大理工学部)を卒業すると同時に仲間入りし、鋳鋼技術者として従事する傍ら、工場の経営にも積極的に参画してきたという。

言うまでもないが、鋳鋼品づくりと熱処理治具(耐熱鋼)は不可分である。その意味では早い話、幼少の頃から知らず知らずのうちに鍛えられてきた、根っからの〝熱処理屋さん〟といって差し支えないだろう。

 

とはいえ、その氏が熱処理治具と耐摩耗鋼づくりに特化してビジネスをするようになったのは、ニッキンを設立した43歳の年からである。

察するに、出身母体でもある生家の事業と競合することなく、スムーズに棲み分けができると判断したのではあるまいか。

 

とまれ何故、氏は生家を出ていわば〝分家〟を起こす気になったのか。

「ひと言でいうと経営観の違いですね。

たまたま母親が亡くなったのを機に、今後の経営方針について兄弟で腹蔵のない話し合いを何度か重ねまして、その結果どうしても折り合えないと分かり、ではそれぞれ別々にやろうということになったんです。

一時はお互いに忸怩たる思いもしましたが、でもそのときの判断に間違いはなかったと、今でもそう思っています。現に弟も含めて、立派とまでは言えないかも知れませんが、それぞれが社会に役立つきちんとした会社経営をしておりますしね」

 

氏の言う経営観からは、ざっくり言って2つの大きな特徴が見て取れる。

 

1つは繰り返しになるが、常に目先の損益より、大局的見地に根差した施策に重きを置く傾向だ。

今夏の海外進出もある意味でそうだが、将来のリターンを見据えた先行投資である。設立以来これまで、各種分析機や試験機、プラズマ窒化処理装置、3D-CADなど、最新鋭の設備機器を他に先んじて導入しており、先々の需要を見越した工場や工場用地の先行買収にも余念がない。

とりわけ目に付くのは人材の採用・登用で、僅か2人でスタートした会社が、子会社(サンコーマテリアル/栃木県矢板市)を含めて今や陣容は80人を超すというのだ。ちなみに今年も、この4月から新たに8人が採用されているそうだ。

 

今1つの特徴は、これも先行投資といえなくもないが、人材の育成と活用に殊のほか力を注いでいる点だ。

先の海外現地調査にも見られるように、優れた人材は迷わず抜擢し登用する。選抜の基準はどうやら進取の気象や主体性、自発性にあるようで、それさえあれば能力は後からついてくるぐらいの勢いなのだ。

「だって、経営者なんてその気があっても1人じゃ何もできないんですよ。それに比べて若い人は、その気にさえなれば何でもできます。ですからその気さえ見えれば、先行投資するにも、私としては何ら躊躇する必要がないんですよ」

 

同社の活気ある雰囲気が、読者諸氏にもボチボチ感じられてきたのではあるまいか。

 

 

問われているのはボーダレスを見据えた大局観

最後に、この国のモノづくりの将来のためにという観点から、忌憚のない話をしてもらったので紹介しておきたい。

 

「今さら言うことでもないと思いますが、日本のモノづくりはもっと自信を持っていいんじゃないでしょうか。

たまたま銀行とか証券会社とか、サービス業みたいな非製造業が儲かって偉そうにのさばっていますが、それだってみんな、頑張ってきたモノづくりに負ぶさってここまできたんじゃないですか。

 

要するにこの国をつくり、支えてきたのはモノづくり、それも中小零細のモノづくりなんですよ。

不況とか超円高とか、経営環境は確かに良くありませんが、それでも儲かっている中小企業はけっこうあるんです。

そういう会社はどこが違うかと言うと、目先のことで大騒ぎしないところですよ。ちょっと儲かったとか損したといって一喜一憂しないんですね。

儲けようが損をしようが、何故そうなったのかを冷静に振り返ってみて、それを次の糧にし、しっかりと工夫しているだけなんですよ。

もちろん景気のせいにも政府のせいにもしません。工夫を要する材料はいくらでもあると思いますよ。

 

たとえば流通経路です。法律で決まっているわけでもないのに、この国の流通経路はピラミッド型になっているでしょ? おかしいと思いません?

その途中途中で管理費と称して何重にもピンハネされる仕組みになっているんです。これでは利益は出ませんよ。だったらそんな経路は無視して、最終製品をつくって売る大手メーカーと直接取引できる形に換えていけばいいんですよ。

ちなみに手前味噌で恐縮ですが、私どもはそれをやるようになってようやく利益が出るようになったんです。

 

それはそれとして、FTA(自由貿易協定)やらPTTやらで、これからは全部ボーダレスになっていきます。そうなるとローエンド(低価格低品質)はローエンドとして、ハイエンドはハイエンドとして、それぞれ新たな市場が出来上がってくると思いますよ。

そうすれば価格勝負だけではなく、技術勝負で世界とも戦っていけます。そのためにも技術により一層の磨きをかけること。日本のモノづくりにはそれができる筈です。

今後私たちが進むべき道は、これに尽きるんじゃないでしょうか。頑張っていきたいですね」

 

もちろん目先の損益も無視はできないが、今、問われているのはやはりボーダレス化を見据えた大局観ということだ。あらためて考えを深めるべきテーマかも知れない。

 

 

佐藤英俊(さとう・ひでとし)

1946年、栃木県宇都宮市生まれ。

1968年、日本大学理工学部機械工学科卒業と同時に父親の経営する明賀屋鉄工所に入社。鋳鋼技術者として従事する傍ら、工場経営にも積極的に参画する。

1989年、日光金属設立とともに同社代表取締役に就任。

 

日光金属株式会社

〒329−2132 栃木県矢板市沢1033番地

TEL:0287(40)2041

URL: http://www.nikko-kinzoku.co.jp

 

〈営業品目〉耐熱処理治具及び炉内金物、ステンレス溶接加工品、各種工業炉・熱風発生炉の設計施工、ゴミ焼却設備に付帯する設備部品及び取付工事、耐摩耗鋼部品、破砕機等の砕石プラントの販売・修理、石油精製関連部品。その他。