◆文:櫻井美里

牧野長 牧野電設株式会社 代表取締役

 

男社会のイメージが強い工事会社。

そんな中、女性社員が過半数を占めるという電気工事会社がある。

電気設備工事の設計・施工を担い、今年創立40周年を迎える牧野電設株式会社である。

従業員の中には文系の女性や、シングルマザーも含まれるという。なぜ、女性が集まってくるのか。牧野社長の考えに迫る。

 

 

きっかけは震災

そもそも新卒採用を始めたのは2011年。

きっかけは東日本大震災だった。

津波や原発の事故、不安定化する日本の姿に「何か世に貢献したい」と漠然とした想いを抱く学生の存在を知り、工事を通して世の中に貢献する手段を提供したいと考えるようになった。

 

しかし、震災前の牧野電設の雇用状況は決して良いものとは言えなかった。過去9年間で採用した約20人のうち残っていたのはたった2人、地元の工業高校から就職した従業員はわずか1週間で辞めたいと言い出す始末だった。

同業者と比較しても離職率は高い。

牧野社長がこの現状を何とかしたいと考えた当時は、まだ先代の父親が社長であった。採用に際して、面接や説明会もなし。

 

「誰を選んでもどうせすぐに辞めていく、来る者はとりあえず採っておけ」この社長の考え方にどうしても納得できなかった牧野社長が出した答えが「自分の目で選ぶこと」だった。

代替わりを見据えた提言ということもあり許可もおりた。

しかし、父親が退職するまでに自分の部下としてしっかりとした育成を施そうと意気込んでいた矢先に待ち受けていたのは、その父の急死だった。

 

 

手探りで臨んだ社長職

「思わぬ形で社長になった当時は、会社の売り上げや利益なんか全く知らない状態で。頼みの綱であった父親のパソコンもロックが開かなかったんですよ(笑) 」と回顧する。

 

体当たりで臨むことになった社長という立場。

突然の交代劇に、父親についてきた社員・取引先が次々と離れていった。仕事の量も減り14億円あった売り上げは8億円まで下がった。

また、「人を選んで育成をする」という体制に、叔父が異を唱え、致し方なく追放という形をとった。それだけ会社体制の変革への想いは強かった。

 

人さえしっかりしていれば生き残れる

業界的にはバブルでピークを迎え、リーマンショック期に最も低迷した。

今後は労働者人口の高齢化が見込まれるが、それでも工事の需要が変わることはない。

 

建設業界の状況は今よりももっと厳しくなる、と牧野社長は言う。

「景気に期待は持てない、だからこそ、採用にこだわらなくてはいけないんです。業界の古い体制、凝り固まった考え方を変えてくれる、これから何かをやってやろうと考える人を取りたい。

人さえしっかりしていれば、きっと生き残れます」。

 

女性目線の環境づくり

今日でこそ、牧野電設は女性が活躍する会社として有名になったが、そのはじまりは2011年に遡れる。

その年、初めて新卒採用をした。女性2人。入社後、その2人の「見せ方」にこだわったという。

 

「就職サイトに、女性も活躍中!と謳って、その2人に登場してもらったんです。前例があるなら、と女性の応募者が増え、気付いたらこの状態でしたね」

 

 

環境の整備にも気を遣わなければならなくなった。

着替える場所や女子トイレ、休憩スペースなど、女性に必要なものを備えた。電気工事に関する予備知識がなくても安心して働いてもらえるように、という最大限の配慮である。

また、昨年からシングルマザー対象の中途採用を始めた。決断を後押ししたのは、2011年の新卒採用で、熱意だけで成長していった社員の存在だった。

 

 

「何ができるか、ではなく何がやりたいか、どれほど熱意を持っているか、で採りたいんです。女性だろうが、子育てと平行だろうが関係無い。せっかくなら、やりたい、と手を上げてくれる人と一緒に働きたいじゃないですか」

 

 

シングルマザーの存在に目をつけたきっかけは、賃貸不動産の仲介をしている友達の話だという。

経済的に不安定なシングルマザーには、部屋を貸したくても貸せないことが多いという。

決して働きたくない訳ではないのに、社会的な制約で働けない存在を知った瞬間だった。

もちろん、単純に彼女たちの労力だけをあてにしようとするのは不可能である。建設業界はやはり時間外労働や残業が多い分、時間的制約のある彼女たちの採用優先順位は低い。

 

しかし、1物件に1人担当をつけるシステムを変え、3物件を3人で担当させることによって責任を分散させ、シングルマザーにとっても働きやすい環境を作ることに成功したのである。

 

今や「牧野電設」と検索すれば候補に「シングルマザー」という単語が並ぶほどに注目を集めている。

 

 

300ページの研修資料

育成をしっかりしたい、という想いで臨んだ社長職だったが、育成の体制を整える間はなく、新卒採用初年度の研修資料はたったの10ページだった。

しかし、ここ数年で体制も一気に変えた。

今や資料は300ページに及ぶ。

数字に苦手意識を持ちやすい女性のために、物理的な知識はたとえ話を使って説明する。電気の仕組みは道路に例える。細い道と太い道、どちらが通りやすい?という問いを電線に重ね合わせる。

 

この育成方法は全て牧野社長が1人で模索してきた賜物である。

 

 

キレイ・カワイイ・カッコイイ

「建設業界はキツイ・キタナイ・キケンの3Kなんて言われるんですけど、我々内部の人間にとっては嫌悪感ですよね(笑)

女性を雇うならいっそ、キレイ・カワイイ・カッコイイの3Kを目指したいです」

 

 

とことん女性に寄り添う牧野社長だが、それには理由がある。

「自分が救えるのはごく一部の人だけ。しかし、私たちが先駆けとなって女性を採用する仕組みを構築することで、様々な業界に浸透させたいんです。」

 

 

実際に同業者からは羨望の目で見られることも多い。

「どの企業も女性技術者を育てたいという気持ちは少なからずあるはずです。きちんと女性を雇用できる体制ができれば、単純に採用母数も倍になりますしね。

学生には女性が多いことは社内風土の良さとして受け取ってもらえ、取引先にとっても教育が行き渡っているという印象を持ってもらえます」。

 

オフィス内の様子 

 

自分たちにしかできないことを

3物件3人という体制は、業界では珍しいが、他でもない社長自身の技術者としての経験が参考になった。

技術者でも、ごく普通の事務作業と並行している部分が大きいことに気がついたのである。

 

技術が必要な部分と事務作業を分けることができれば、2人で工事現場に入れるのではないか。

工事現場でも、必ずしも専門知識が必要な訳ではない。図面と照合して写真を撮る、レベルのことであれば多少の訓練でできるようになる。

 

日中に発生する汎用性の高い仕事だけを切り取り、任せたこと(途中削除)が、シングルマザーでも働ける理由の一つだ。

逆に採用側にとってもシングルマザーを雇うメリットはある。

全ての工程を技術者に担当させれば、それだけ経費もかさんでしまうが、分業をすることによってコストを削減することができるのだ。

 

「存在意義としても、自分たちにしかできないことをしたいですね。」

牧野電設は約23000社ある電気工事会社の中で370位。

評価で言えばかなりの上位に位置するが、牧野社長は、この数字を自分達の価値として肯定的には考えていない。

 

「今、この瞬間に牧野電設という会社が消えてなくなってしまっても、それは371位の会社が取って代わるだけの話。大した混乱もなく、社会はまたすぐ回っていくでしょう。

それは我々が提供しているものが本当に価値あるものではないということなのだと思います。

 

自分達にしか出来ないことをやりたい。

それが、牧野電設が世に存在するための本当の価値だと思います。

 

そこで私が力を入れたのが『働きたくても働けない』人たちへ雇用を提供することでした。

文系の学生から始まり、女性、シングルマザーと、建設業界では活躍出来ないとされてきた人達に技術者に育て、活躍できるようにする。

『建物を造ることで世に価値を提供するのではなく、その建物を誰が造れるようにするのか』で自社の価値を世に知らしめていきたいですね。」

 

3人に1人が離婚するというこのご時世。女性の活躍を支えるのは、意外にも男社会のイメージを払拭した新しい工事会社かもしれない。

 

 

―創業時について

1974年、父親が24歳の時に個人事業として創業した会社です。

 

当時はパンの耳と大根の葉に頼るような貧乏生活でしたね。住んでいた物件も殺人事件が起きた事故物件だったようです。(笑)

幼稚園でも周りの子と比べてお弁当が本当に質素で、一緒に食べるのが恥ずかしいほどでした。

当時は牛乳券というシステムがあって、それが買えない人は牛乳を飲めなかったんです。貧乏な家庭には残酷なシステムですよね(笑)

遠足ではビニールシートではなく新聞紙を敷いていたのでからかわれていましたし。幼いながらに貧乏なんだという意識はありました。

 

暮らし向きが変わったのはバブルに差し掛かった頃でした。家族でファミレスに行けるようになりましたし、家族旅行に行ったり、一戸建てに住んだり、ようやく人並みの生活ができるようになりましたね。

ただそれもつかの間、バブル崩壊で取引先が潰れ、多額の負債を被りました。

当時は反抗期真っ盛りの高校生で、会社が潰れると父親に言われた時は頑張ったってダメなんだと、どこかで俯瞰している自分がいました。

それでも肉親である父親がストレスで髪の毛が薄くなっていく様子は見ていて辛かったですし、なんとも言えない気持ちで過ごしていました。

 

 

―今までで一番楽しかった瞬間は

今ですね。

よく寝る前に、死ぬ時に走馬灯で蘇ってくる瞬間は今だろうなと考えています。一生懸命になって打ち込んでいるものがあって、常に挑戦と模索を繰り返しながら進む今が本当に楽しいんです。

 

私、2年前にお酒を止めたんですよ。人の人生を預かっているという自負から、好きなものを一つ捨てて覚悟を決めようと思いました。

好きなものはお酒と愛犬なんですが、犬は捨てるわけにいかないので(笑) 禁酒に踏み切りましたね。

一つ捨てる代わりに、何か一つ拾えたら良いな、という、いわば願掛けのようなものです。

 

今後は、女性社員の育成を何とか形にして、頭の固い建設業界に一石を投じてみたい。

牧野家に生まれたから社長になれた、と思われたくないですし、あいつだからやれた、ということを何か残せたら本望です。

 

 

<プロフィール>

牧野長

牧野電設株式会社 代表取締役

 

<会社情報>

社名:牧野電設株式会社

住所:東京都練馬区南大泉五丁目38番10号

電話番号:03-3923-5430

URL:http://www.makino-d.co.jp

設立年月日:昭和53年7月

資本金:4000万円

社員数:40名