前へ!前へ!道は、進むからこそ明るくなる!

 

東京都で「モノづくり」の盛んな地といわれると、まず思いつくのは大田区ではないだろうか。確かに同区の工場数は群を抜いているが、今回訪問したのは、完成待ち遠しいスカイツリーもよく見える下町・葛飾区。実はココも、いわずとしれたモノづくりの町なのだ。都内で3番目に多い工場数を抱えるというのだから、それだけ優良企業も多々あるはず。筆者のそんな期待に応えてくれたのは、〝ゴムのマイスター〟として地元でも有名な一人の経営者だった。

 

隠れた工場の町、東京・葛飾で〝ゴムのマイスター〟が中小企業の未来を照らす

 

株式会社杉野ゴム化学工業所 代表取締役社長 杉野行雄氏

 

下町・葛飾の〝ゴムのマイスター〟

今月3日に発表された、日銀短観(2011年9月調査)。特徴的だったのは大企業、中小企業ともに業況判断が大幅に改善したことだ。中小企業の先行きについては製造業、非製造業にかかわらず総じて慎重な見方をしていたものの、結果だけを見れば東日本大震災の影響も和らいできたといって過言ではない。

 

これはあくまで指標の一つであり、その数値だけを見て今後の善し悪しを決めるのは早合点すぎる。だが、「気持ち的な向上」や「モチベーションを高めるため」には、先行きは明るいほうが嬉しいものだ。

 

とはいえ、見通しの明るさは先週発表された8月分の鉱工業生産指数速報値にも明確に表れている。前月比+0・8%、5カ月連続の増加。具体的に寄与した業種は輸送機械工業や鉄鋼業、電子部品・デバイス工業などであった。

 

現在の異常ともいえる超円高は、当然ながら製造業にとっても痛手要因だ。にもかかわらず、現時点で勢いを取り戻しつつあることは評価すべき部分。さらに今後、節電の緩和で稼働が増え、増益が見込まれる業種の数を思えば、より一層期待ができる。

 

ところが、そんな統計など関係なしに日本の製造業の未来を信じて疑わないモノづくりもいることをご存じだろうか。

 

「日本のモノづくりは秀でているし、底力がある。だから先行きは明るいのが当然なのですよ。逆にその結果に一喜一憂するのではなく、自分たちができることを一つずつこなしていかないと」

 

それが株式会社杉野ゴム化学工業所の2代目代表取締役社長を務める杉野行雄氏、その人だ。同氏は地元葛飾のゴム工業会の会長を務める傍ら、東京都優秀技能者(東京マイスター・ゴム成形工)にも認定された、ゴム製造のエキスパート。〝ゴムのマイスター〟である。

 

技術は盗めるものではなく、育てるものである

杉野氏は何とも人を朗らかな気分にする、穏やかな笑顔が印象的な経営者である。だが一方、口を開くとなかなか手厳しいから驚く。

 

「30歳からこれまで、約30年間、代表を務めている」(同氏)と言うのだからそれも当たり前かもしれないが、一つひとつの言葉からも安定感と説得力が感じられるのだ。

 

筆者がそう感じているなか、杉野氏は見事にぴしゃりと言い切った。

 

「もともと、日本人も欧米からモノづくりを教わってきた立場。でもそれは、あくまで『方法』をまねただけ。本来、技術は盗めるようなものではないのです。いまの日本の技術力は独自に育てたものですから、もはや文化であり、財産ですよね。『業績が伸びない』『顧客が増えない』。技術があるのにそう嘆く中小製造業の皆さんは、いろいろな意味で勘違いをしているから成長できないのですよ」

 

厳しい指摘である。だが、的確である故に、つい聞き入ってしまうのが不思議だ。そのおっとりとした口調が、人をぐっと黙らせるのかもしれない。

 

「マーケットはつくるもの。開拓する努力とやる気があれば、いくらだって市場は広がります。確かに日本には、口を開けて待っているだけで仕事が舞い込むような時代がありましたが、いまは違うのです」

 

それは、杉野氏自身が約40年間、モノづくりの世界に生き、ときにもがきながらも歩き続けてきたからこそ、言える台詞なのであろう。

 

「大学を卒業したときは『他社での修業』を考えていたのですが、杉野ゴム化学工業所の創業者でもある父に『そんなに甘い世界ではない。できるだけ長くどっぷり浸かってこそ、ようやく一人前になれるのだ』と言われて。家業に入ることは決めていましたから、私も納得して入社しました」

 

懐かしそうに目を細めつつ、「ここしか知らない。だからこそ、『ゴムを知り尽くそう』と思ったのです」と当時の思いを力強く語ってくれた。

 

高名な研究者であった父から学んだこと

杉野氏の父、健治氏はモノづくりではなくむしろ「研究者」であった。

 

第二次世界大戦より以前はドイツ・バイエル社の日本総代理店で技術主任に従事。日本のゴム産業発祥の時代に多大な功績を残したという。その能力が多方面で認められたことが、いまの杉野ゴム化学工業所をつくりあげたといえよう。

 

戦時中、健治氏は大日本ゴム研究所に招聘される一方で、日本軍の小型ロケット燃料などの開発を担うこととなる。そこでも実績をあげたことが、逆に戦後になってから大きな問題となった。「軍事機器の開発に従事した」となれば、当然GHQによる公職追放の対象となるからだ。同氏も例に漏れず、これまでの職務は解かれてしまう。

 

しかし、決して絶望したわけではなかった。

 

「公職追放が解除されたのち、昭和30年に起業。父は根っからの技術者でしたから、同じ業界にいたい、と思っていたのでしょうね。ただし、それからは軍事目的ではありません。平和のためのゴム製品、人の役に立つようなゴム製品の開発を行うため、杉野ゴム化学工業所を立ち上げたのです」と杉野氏。

 

時代は、高度経済成長期の序盤。ゴム製品はさまざまな分野で需要を伸ばしていたが、「競争相手が多かったからこそ、父の技術開発力の優秀さが際立ったのかもしれません」とのこと。以来、今日までに3000件以上の特殊なゴム製品の開発を委託されている。

 

「それだけのノウハウを蓄積してきた自負がありますし、『自信がない』なんて言ってしまったらお客さまに対して失礼にあたります。私たちはいつも、可能な限り最高のモノをつくりあげてきたつもりです」

 

そう気丈に話すが、道のりは、決して平坦なものではなかった。

 

父、健治氏の急逝という思いがけない事態がきっかけで、30歳で2代目に就任。そのころは、「業界も年配の方が多かったので若造扱い。なかなか一人前と思ってもらえず、大変でしたね」と苦笑。また、「バブル崩壊後の不況も打撃でした」と振り返る。

 

それでも杉野化学工業所が絶えることがなかったのは、杉野氏の志にあった。

 

「子供のころから、『モノづくりは楽しいこと、人の役に立つ仕事』との思いを抱いて育ってきましたから、『企業を存続させなくては』といった切迫した考えより、ひたすら先を見て『次は、どのようなものに需要が高まるか、ああいうモノをつくってみたらどうか』と、ある意味ワクワクしながら仕事を続けてきたのです」

 

だが、「夢見がち」なわけではない。

 

「『未来』に必要なモノは結局、『現在』のお客さまのニーズからも見えてくるのですよ。一歩先を見るのはそんなに難しいことではないのに、気付かない人が多いのです」

 

 

「前へ」の思いがあるからこそ、いまでも夢は抱えきれないほど

杉野氏が開発した製品のなかで、いま注目を集めているのがゴム製の防振マットである。

 

「もともとは阪神・淡路大震災の際、取引先とのご縁もあってその惨状を目の当たりする機会があったのです。『今後は防災にも力を入れて、それに役立つような製品をつくろう』と決めたのはそのときでした。それに関しては『ニーズ』というよりも、『人として』との思いが強かったですね」

 

構想から数年、改良を経て完成したが、東日本大震災後は問い合わせが殺到した。

 

「いまになって似たような製品を開発しようとしている企業もありますが、それでは遅いのです。前へ前へと進もうとする努力、いまはそれが足りない中小企業が多い」

 

杉野氏はモノづくりの行く末が気がかりで仕方ないようだ。そんな思いもあり、現在は忙しい合間を縫って、ゴム工業会主催の若手を対象としたゴム技術伝承セミナーで講師を務めている。

 

それについては、「私自身に後継者がいないので、余計に危惧するのかもしれません。だからこそ『これは』と思えるような人に出会えたら、譲りたいとも思っています」と語る。そのような考えもまた、柔軟で画期的。まさに同氏らしい発想だ。

 

セミナー内に、該当するような人物はいるのかと尋ねると、「いまはまだ分かりませんが、セミナーから生まれるアイデアもたくさんあります。それだけでも大きな成果。実際に製品化もされていますから、これからもどんどん発展していきますよ」とにっこり。

 

最後に筆者は「今後の抱負」を杉野氏に尋ねた。「後継者を探している」との発言から、自身は勇退することも視野に入れているのかと思いきや、とんでもない。

 

「まず、いま考えているのは被災地などでも利用できるようなゴムを活用した仮設の教室。簡単に組み立てられるような製品で、産学共同で開発を進めています。それから、海外に拠点を置くこと。いま主流になりつつある、レンタルオフィスの利用からベトナムに進出しようと考えています。あとは、昨年から取り組み始めている海底探査。これまでにない深水探査能力を持つ深海探査艇の開発で、独立行政法人海洋研究開発機構や東京海洋大学、芝浦工業大学とともに……」

 

次から次へと出てくる壮大な話が、なんと実現間近で実行されているというのだ。

 

同氏は「そのすべてが、業績として結果が残せるかどうかは分かりませんが、リスクは負わないように考慮しています。趣味でやっているわけではありませんからね」と微笑み、「日本のモノづくりが低迷するほうが間違っているのです。まずは努力し、きっかけとなる行動を起こすこと。下手に賭けや勝負をしろというのではなく、『何ができるのか』を冷静に見極めるべきなのです」と締めくくった。これはおそらく、昨今の円高による原料価格高騰や節電の影響に翻弄され、迷い続ける中小製造業経営者に向けて発した言葉であろう。

 

自信や実績は一日、二日でつくられない。長い年月の積み重ねによって構築されるものであり、すべての中小企業が杉野氏をまねられるものではないのだ。しかし、いつまでも悩み続けるよりまずは行動。一歩前に進めば、見えてくるモノもある。同氏は、そんな前向きさを与えてくれる経営者であった。   ■

 

 

杉野行雄(すぎの・ゆきお)

1949年、東京都生まれ。1962年、日本大学生産工学部を卒業後に家業である杉野ゴム化学工業所に入社。1969年、創業者であった父健治氏の急逝を機に、同社の2代目代表取締役社長に就任し、現在に至る。

 

株式会社杉野ゴム化学工業所

〒125-0063 東京都葛飾区白鳥1丁目4番9号

TEL 03-3691-5732